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第一七生隊隊長 宮武信夫大尉

 

 宮武信夫大尉は、海兵71期第40期飛行学生。筑波空勤務を経て、昭和20年2月に元山空に移り、第5分隊長となり、48名の学生隊の特攻訓練にあたりました。同月22日に特攻編成の発表があり、七生隊の第1中隊長に就任しました。3月31日に分隊長として、「発進の命おりぬ、即刻試運転、試飛行をなせ」と訓辞し、4月4日16機を率いて鹿屋基地に進出しました。4月6日神風特別攻撃隊第一七生隊隊長として、鹿屋基地を発進し、沖縄周辺輸送船団に特攻、散華しました。享年24歳でした。任海軍中佐。

 

【宮武大尉の遺書】

 母上様 御無沙汰致シマシタ。信夫ハ極メテ元気旺盛、任務ニ邁進致シテ居ります。

 最后迄隠忍自重、本分ヲ尽クサレンコトヲ切ニ祈リ居マス。

 父上、聡子ニ宜シク サヨナラ

 七生を近ひて散らん桜花

 

【特攻の兄・弟を偲びて】

                      姉 高橋保江

 アルバムの整理しおれば特攻の

  弟の声耳もとにあり

 後世の平和祈りて墓石に

  弟の辞世を父は刻みし

 弟の背をなでるごと墓洗いぬ

  桜花散る丘を登りて

 沖縄の特攻作戦の記事を読み

  出撃前の弟の姿まぶしき

 

                      妹 玉田聡子

 桜花咲きそむる頃特攻の

  兄散りませり沖縄の海

 突風の吹く宵任地に発ちゆけり

  兄と今生の別れなるとは

 還暦を迎える兄の面浮かび来ず

  二十才のりりしき姿のみあり

 この海は沖縄県まで続けども

  吾いたつきて供花すべなし

 

                      姉 平田晶子

 人前で涙をかくし小夜更けて

  弟の遺影にしのび泣く母

 戦死せし弟追うごと母逝きて

  浄土で平和を祈りおるらん

 シベリアゆ還りし夫に伴われ

  霊安かれと江田島を訪う

 生あれば還暦迎える弟の

  面影さぐりぬ期友に重ねて

 

 参考文献 
『筑波海軍航空隊 青春の証』友部町教育委員会生涯学習課

『同期の桜』『続同期の桜』海兵71期

​宮武信夫大尉(玉田聡子氏提供)

​鹿屋出撃の時 第1七生隊(玉田聡子氏提供)

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​鹿屋出撃の時 第1七生隊(玉田聡子氏提供)

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