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筑波海軍航空隊記念展のこと

                                                                     筑波海軍航空隊記念会

副代表世話人 木名瀬 信也

 筑波空生存者有志が、ご遺族や関係者に働きかけ、ご賛同の下に記念碑が出来、さらに友部町教育委員会の絶大なご尽力により、筑波海軍航空隊特別展示会が開催されました。私共有志にとりまして、望外の幸せと、皆様に深く申し上げる次第でございます。

 さて、終戦後55年を経て、航空隊記念碑の設立を企画した私共に対して、遅すぎるとのご批判を頂いたことも事実でございます。しかし、私共の憶いは、年を経ても「去る者は日々に疎し」にはなりません。平成12年9月10日の朝日歌壇に次のような2首を発見致しました。

はらからも 逝きしときけば 特攻に

果てたる十八 誰が語り継ぐ

戦死せる 友の命の四倍も

 ながらえて 今何の嘆きぞ

 若くして散華した戦友を憶う度に、私共も同じ20代に立ち戻って、純情一路で苛酷な運命を耐えた頃に想いを馳せるのです。国という大きな家が、焔を上げて燃えていました。

同胞を救う一心で、火の粉を浴び乍ら、火中に突進した多くの若者が命を落としました。私共と同じ仲間でありました。戦後の評論家の多くは、火災の原因を追求し、放火か失火か、そして誰が責を負うべきかを問うことに熱心で、身を挺して消火に努めたものに、正しい評価を与えることをしませんでした。戦争の真実を残さねば、亡き戦友に申し訳ないと思うと同時に、後世の人々に対しても私共世代の義務を怠ったことになると、痛感するに至りました。特に若者の純粋な心が忘れ去られるとすれば、21世紀の日本はどうなってしまうのでしょうか。昔も今も若者の心情には、大きな基本的相違はないと思います。ただ歴史的環境が決定的に異なっていたのです。私共は世界の潮流の中で、孤立を深め、窮地に追い込まれていった当時の状況を、現在の青年の皆さんに是非理解して欲しいと思うのです。私共には戦争に参加する以外に選択の余地は、誰にも残されておりませんでした。そして戦争の災害に苦しまなかった人は居りません。当然、戦争の再来を望む人がいるはずもありません。恒久平和は人類の願望であります。この理想郷を求める努力は尊敬されねばなりませんが、同時に近い将来における実現を期待することは、非常に難しいことを知るべきです。人類社会は、戦争と平和の繰り返しの歴史で貫かれているともいえましょう。私共は現実を見失ってはならないと存じます。具体的な地球上に、私共は依存して生活しており、生活の指針として平和共存を目指しているが、到達の困難さをも意識していると思います。プラカードを掲げ、大声連呼するだけで、恒久平和が得られるとは、とても信じられません。平和を求める人は、戦争の真実を知る必要があると考えております。戦争の災禍は今更言及するまでもありませんが、戦争に否定的であった多くの若者が、将来に希望をかけて、眼前の危急に率先挺身して逝ったことを、是非記憶にとどめて欲しいと存じます。

 筑波隊に一高・東大出身の吉田信という少尉がおりました。彼の残した寄せ書きに、唯一字「望」という文字を見て、私は衝撃を受けました。出撃数日前のことでした。

 筑波空記念展の展示品の中に、様々な遺品や記念品がありますが、当時の戦時情勢を背景にしてご覧願えれば、若者の息吹が聞こえ、心情が伝わってくると存じます。私共生き残った者から見ても、惜しい人物を死なせたとの想いが致します。せめて戦死者の心根に共感し、その生き様を理解して貰うことが、私共の願いであります。

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