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第一神雷爆戦隊   河 晴彦少尉

 

 北海道大学農学部昆虫学科を卒業し、第14期予備学生。昭和20年6月22日、神風特別攻撃隊第1神雷爆戦隊の一員として、鹿屋基地を発進、沖縄周辺艦隊に特攻、散華。任海軍大尉。

 

【河晴彦少尉の日記】

 

昭和二十年四月二五日 筑波空にて

 

 去る四月十二日、第六筑波隊本隊より鹿屋に進出す。我が無二の戦友山縣少尉征けり。

 誘導機として行かれたる吉松大尉の話によれば、中村中尉の率いる第一小隊は敵艦船、由井少尉の率いる第二小隊は敵空母に必中突入中の電報を打ちつつ突入せりと。嗚呼かくして彼等遂に悠久の大義に生けり。

 山縣少尉を送るに当り詠める

 

 叢雲の向伏す極みひたに翔け

   仇しふねぶね撃ち沈めてむ

 

 天翔ける鋼の翼益良雄が

   血潮通って国固めする

 

 生きも死にも相許したる若桜

   時こそ変れ吾れもつづかむ

 

 大君の命かしこみ若桜

   仇艦沈め今ぞ散らなむ

 

 国に死する道大いなりわが友よ

   ただ大らかに笑みて往くべし

 

 続いて同二一日、第七筑波隊の同じく鹿屋基地進出を送れり。良き友山崎、片山、麻生少尉と別る。

 

 益良雄の道大いなりおおらかに

   笑みて翔りて散りて往くべし

 

 満開を誇りし桜も既に散り、吾は桜にまで散り遅れたるかと嘆きつつ、ひたすら出撃の日来るを待ちつつありたるも、天遂に吾を見捨てたまわず、本日夜第八より第十三に至る全筑波隊に出動の命下る。

 

 喜びこの上なし

 いざ今こそ征かむ

 今更何をか言わん

 何の言い残すべきこともなし

 何の後顧もなし

 良き家庭に恵まれ、良き友を持ち得て、

 今ぞ光栄の任務に就く。我が身の幸福、

 之に尽く。

 いざおおらかに笑みて征かん。

 

四月二五日 出撃前夜

 

【河晴彦少尉の書簡】

 

 母上様

 

 愈々明日待望の出撃をします。

 沖縄泊艦船に対する総攻撃に参加するのです。

 これが最後の便りとなることでしょう。今はもう何も言いたいことはありません。私の心持は既に以前から御存知のとおりですから。

 

 浅みどりすみ渡りたる大空の

   ひろきをおのが心ともがな

 

の御製の御心こそ私の今の気持です。

 すがすがしい気持で愛機を駆って突入しますよ。

 本当に長い間有難う御座いました。

 どうか切に御身御自愛下さいます様祈ります。

 

   さようなら

 

   六月二一日                       晴彦拝

 

 御母上様

   

【神雷爆戦隊の歌】     河 晴彦 

 

一 ああ南海の雲染めて  醜敵はらい神洲を

  永遠に護りし神風の  伝統継がん秋到る

  今こそ起てり爆戦隊

二 見よ烈々の闘魂に   赤き血潮は純忠の

  炎と燃ゆる若桜    恨は深き南溟の

  決戦望み腕を撫す

三 敵艦見ゆの報一下   祖国をあとに洋上を

  爆弾抱きなぐり込む  わが必殺の体当り

  轟然砕く大和魂

四 ああ紅顔の若桜    今洋心に花と散り

  永遠に薫らん靖国の  庭の梢に還り咲く

  燦たり神雷爆戦隊

 

【像に捧ぐ】

 

                                    故河晴彦少尉母堂 河家恵

 8月初旬の或る日、今日も厳しい真夏の陽射しの中に、大都会の活動の動脈の様に幾多の人々を吐している

東京駅に私は来た。丸の内方面中央口の正面道路を隔てて、駅の方向に向かって一つの銅像が建っている。緑

濃い夏木立を背にして、それは可成高く大きい像である。ゆるやかに寛衣を纏うた一人の若者が立ち両腕を柔

らかく前方に拡げ、穏やかな眼差しで中空を仰いでいるその静かな姿。戦没学生の像である。台座の正面には、

只一字、「愛」そしてその下にギリシャ語でアガペーと記されているのみ、他には何等の字句も刻まれていな

い。私は未熟にしてこの像の制作者がどういう御方であり如何なる意図の下にこの像を作られたのか、承知し

得ないのである。けれどもアガペーの愛の一字は誠に若人達の生涯とその死の意味する所を表現して余す処な

いものを私は感じる。烈々たる碧空に向かって双手を伸べ、彼等は愛する同胞にアガペーの愛を訴え求めてい

る。祖国日本の新しい建設と世界平和への祈りがそこにこめられていることを私は思う。然し、眼を転ずれば、

周囲は行き交う車々人々、織りなす雑踏雑音のさす潮、引く潮の中に、一人としてこの像に眼を止める人もな

い。静かな立像を見上げる人もない。地上の勿忙の姿と、それは誠に戦後20年の日本の、今日の世相をはっき

り物語る風景であると、思わずにはいられない。私は暫く像を仰いで立ちつくした。

 今年も又8月15日終戦の日が近づいた。戦後20年。思えば長い虚脱の日々であったと思う。史上曾てなき敗戦と原爆の試練、そのショックの余りにも大きかった故に、虚脱状態も長く、混乱した思想の中に日本人は失ってはならぬもの迄見失ってしまった。いずこにか祖国を愛さぬ国民があろうか。我が祖国あればこそ、ジプシーの様に山野を彷徨して、自ら生命を守る危険を冒さなくとも、安寧秩序を守られて安んじて今日の生を営むことを得る。祖先代々ここに生活しここに眠る祖国の山河を愛し、いにしえより伝え来る自然と人文の美を称える我がこの国を誇り、国の恩を知り、これを守る心は国民としての光栄である筈である。世界の平和を願う心は即ち、我が祖国安泰なれかしと祈る心の現れであろう。日本は戦後20年というのに、アメリカの若人たちは未だ戎衣を解かず、世界の果てに在りて銃を取っている。世界平和の名の下に、遠く異郷の山野に若い命を散らしているのである。英米では護国の英霊の碑にはGlorious Deadの文字が刻まれてある。ああ大君の御拝し給う栄光の宮、靖国神社は我が国の誇りである。たとえ御国の為にでも、我が子に銃を取らせるのは御免です、と叫ぶおかあさんたちや、日本民族として神より与えられた祖国の尊厳と、それへの愛をも教えぬ学校教育は、果たしてどんな日本人を作り上げ様とするのであろうか。自分の事より考えられない、自分を押し通すことしか知らない、それでは人づきあいは出来ない。人間本来の魂の中に争う心のある限り、人に呼びかける許りでは地上の平和は招来できない。日常生活の根底に信仰のない、井底の蛙の日本国民性を反省すべく神の与えられたものが、ここ20数年に亘る歴史上の日本の姿ではあるまいか。

 日本人はもっと成長しなくてはならないと思う。一人息子を捧げたのが馬鹿というのではない、生き残ったものが得をしたというのでもない。各自一人一人、死ぬるも生くるも日本民族として果たすべく与えられた使命の道がある筈である。国として、又個人として与えられる試練の大きい程、雄大なる完成建設が約束されているという事、大きい建設には大なる礎石が必要であり、その土台となるものは愛である。吾不惜身命只惜無上道と、若い人たちは日の丸に書いて征った。「人その友のために命をすてつる、これより大いなる愛はなし」と。これをアガペーの愛という。聖書の中に見出される語であって、己を虚しうする愛。人間的の愛は好きという意味のものであってアガペーに対してフィレオーという。元来アガペーの愛は人間には理解し難いものであるけれどもこれが発揮される時、即ち無上道の成就されることをいう。

 日本の国の試練の時に、この時代に生まれ、この召命に応えて征った人達よ。混乱の時代もそろそろ落ち着いた戦後20年。人造り、国造りの声を聞く今日。理想の人間像を如何なる根拠の下に求めんとするのであろうか。うろうろと探す迄もない。吾々国民の歩むべき方向は、ちゃんとあなた方が指し示していてくれるものを。残されし者もいつ迄ただ想い出の涙に浸って許りいないで、あなた方の天上の祈りにあわせて確りと地上の祈りを持とう。次の世代の人々の力強い建国の槌音を雲流るる果てまで響かせよう。それのみが唯一の手向けの幸として、大いなる愛に応えよう。感謝と希望をもって、吾らも亦、後につづかねばならない。合掌。

 

『青春の証 筑波海軍航空隊』友部町教育委員会生涯学習課p86~87から加筆引用

河 晴彦少尉 筑波空にて

(河潤之介氏提供)

愛の像
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