第五筑波隊隊長 岡部幸夫中尉
昭和18年8月早稲田大学専門部工科を繰り上げ卒業、同年9月10日第13期飛行予備学生として土浦海軍航空隊に入隊、19年1月谷田部空で中練課程、6月から神ノ池空にて戦闘機課程。その後、筑波空に移り、20年2月神風特別攻撃隊の特攻要員となる。5月11日、第五筑波隊隊長として鹿屋基地を発進し、アメリカ駆逐艦エヴァンス、空母バンカーヒルに特攻、散華しました。任海軍少佐。
【母宛ての手紙】
永ラク御無沙汰シマシタ。
母上様始メ皆様御変リ有リマセンカ、私モ元気ニテ訓練致シ居リマス。
兄上ノ所焼出サレ、全テノ点ヨリ考ヘ、松本、長野方面が良イト云ッテ嫂サント満州雄君ハ松本ニ疎開シマシタ。此ノ事ニ就テハ御意見モ有ルト思ハレマスガ、此ノ時勢トナリマシタタメト、御寛容有リタイト思ッテ居リマス。兄上モ独断専行シタ事ニ少シ気ヲツカッテ居ル様デス。
又、加守ノ方ハ如何成リマシタデセウカ、安ジテ居リマス。其方ノ方モ疎開サレル由、兄上近々行カレル筈デスカラ、其ノ節御相談サレ決メラレル様サレタガ良イト思ヒマス。
先日上陸シタ際日光ニ行キ父上様ノ事聞イテ参リマシタガ、出張ノ名目ニテ一度帰レル様ニ取リハカラフトノ事デシタガ、残念ナガラ此ノ状態デハ、ソレモ出来ナクナッタ様ニ思ハレマス。シカシ遠カラズ其ノ日ヲコサセマスカラ御安心下サイ。
哲治ノ勉強ハ姉サンニ宜敷ク御願シマス。ソロソロ中学デスカラ、敵国語ト云ヘ、英語ハヤル必要ガ有リマスカラ、此レヤ代数等初歩ヲ始メルト良イト思ヒマス。
美代子ハ如何デスカ、余リ無理ヲスルナト御伝下サイ。
姉サンニハ色々面倒ヲカケテ居マスガ女ハ先ヅ家ノ為自己ヲ捨テルガ本分ト思ハレマスノデ我慢シテ男ノ居ナイ後ノ世話ヲ宜敷ク御願シマスト御伝下サイ。但シ此レハ年長者ニ向ッテ言ヒ過ギカモ知レマセンガ宜敷ク御容赦下サイ。
サテ国難到ル此ノトキ、国家ヲ挙ゲテ協力一致敵ニ当ル折、我ガ家ヲ家族ヲ挙ゲテ家名ノ名誉ヲ守ラレン事ヲ祈リマス。
桜、我が教官室ノ前ニモ咲キ乱レ、我々ニ何カヲ教ヘテ居リマス。雄治兄サンモ、元気デヤラレテ居ル事ト思ヒマス。デハ又、御元気デ皆様ノ御自愛ヲ祈リマス。又私ハ全力ヲ挙ゲ、御奉公致シマスカラ御心配ナク、乱筆失礼シマス。
4月13日
幸夫
母上様
追伸 本年3月1日付ヲ以テ海軍中尉ニナリマシタ。
【岡部中尉らの寄せ書き】
茨城県筑波海軍航空隊第一士官次室
木名瀬信也様
宮崎県東臼杵郡富高郵便局気付
ウノ497士官室筑波隊
岡部 幸夫
木名瀬中尉(左)と岡部中尉(右)
此方に来て全員頗る意気軒昂其方では色々御世話になり有難う奮斗ヲ祈ル
岡部中尉
寝台で隊長中心例によって例の話に笑声絶えません。
士気旺盛張り切って居ります。色々御世話になりました。御健闘を御祈り致します。
森 少尉
色々御指導有難う御座居ました。お陰様で猛烈に張り切って居ます。また例の如く愉快にやって居ります。
ぶくろの事と出発の時の隊長の顔はいつまでも忘れません。御健闘と御健闘を祈ります。
伊東少尉
何かとお世話になりました。頭に手を置かれて「福は・・・」と云われた事共今更の如く浮かんで参ります。
きっとやります。御両親様酒井侯等によろしく。
福田少尉
貴地に於ける二ヶ月の生活、それは私達一同、一生の想い出です。
当基地にて益々元気旺盛、見事轟沈を誓って居ります。御健闘をお祈り致します。
黒崎少尉
浜中イ。悦は大いに悦に入って大張切りです。何でもこいです。貴地に於ける御親切御指導絶対忘れられません。
出発の時の感激これ亦忘れられない事です。よろしくお伝え下さい。実際一緒にここに来たかったと思ひます。
14の連中にもよろしく必ずやります。
時崎少尉
色々お世話になりました。皆従来通り元気です。皆愉快にやっています。
私一人木石の如くですが、衆カテキせず、朱に染まっています。
御存知の湯野川大尉、新庄中尉が分隊長で非常に張り切って居られます。
ではお次にパス。浜まではミノを着て下さい。
中村少尉
元気で訓練に励みつつあります。長らく色々とお世話になりました。三宅杉本小野田少尉によろしく。
では御健闘をお祈りします。
西野少尉
茨城県筑波海軍航空隊神風舎
木名瀬信也様
宮崎県東臼杵郡富高郵便局気付
ウ497士官室筑波隊
中村 恒二
吹流は八幡大菩薩
つつじの花美しき基地初夏の風
早くも空飛ぶ燕の群頬を撫でる風は甘し
時限爆弾は食卓の蠅を舞はせる
新緑の候南風の薫する富高の基地に一月張り切っています。
由後事御願します。
勝利の歴史を刻む当貴地の正気溌溂として意気天を突く
故郷の姿を眺め感慨無量大いに頑張り抜きます。
大いに歌はん哉、米国太平洋艦隊撃滅の歌を!!
恒二
小山少尉
藤田暢明
静魔少尉