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第三筑波隊 山縣康治少尉 

 

【山縣康治少尉の手紙】

 

 前略 

​ 其后皆々様御元気に御暮らしのことと存じます。私も非常に元気で訓練第一と張切って居ります。当方も今や桜が満開です。真に日本男子の心意気です。敵も本土の一角に参りました。いよいよ私の腕を振る秋が参りました。必ず必ず山縣の子供としてやります御安心下さい。

 最后に皆々様の御健康と御幸福を祈ります。

 永々御世話になりました。

 今御恩を御返し致します。

 昭和20年4月10日

 皆々様             康治

 

 前略

 其后皆々様御変わりなく御暮らしのことと存じます。私も増々元気です。筑波から最后の便りを致しましたが、又此の便りを致すことが出来ました。同じ九州の地に居ります。只々情報の入手と共に出撃を待つのみです。今迄申しませんでしたが先に特別攻撃隊に選ばれて居りましたが、名誉此の上なしと思ひ日々訓練に精励致して居りました。25年間皆々様の御世話になり何一つの親孝行も出来ず残念でしたが、これで御恩の十分の一と御思ひ下さい。荷物は全部戦友より整理の上送られることと存じます。この手紙を書き乍らも出撃を待って居ります。隊員一同日頃と何等変わった事はありません。只々命中を念ずるのみです。別に何も書く事はありません。私は必ず成功致します。皆々様の御健康を切にお祈りいたします。

 父上様

   外皆々様へ         康治

※この手紙は6月1日に発送されたものですが、両親の許に届いたときには、既に散華していました。『雲の峰』より)

 

 参考文献 
『筑波海軍航空隊 青春の証』友部町教育委員会生涯学習課

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