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第四筑波隊隊長 米加田節雄中尉
米加田節雄中尉は、熊本県出身、海兵73期で、昭和19年4月霞ヶ浦海軍航空隊入隊、42期飛行学生として搭乗訓練、同年8月31日より筑波空に移り戦闘機要員となる。昭和20年4月29日、神風特別攻撃隊第四筑波隊隊長として鹿屋基地を発進し、沖縄北端の米艦船に突入し散華した。任海軍少佐。
【米加田中尉の遺書】
現在ノ戦局ヲ見ルニ現勢力ヲ以テシテハ如何トモ為シ難シ、所謂特別攻撃隊ノ必要性ハ此所ニ生レ国民トシテハ特攻隊ヲ出ス迄ノ事ナク戦局ヲ打開セシムベキモノト雖モ、処置手緩ニシテ望ミ少シ。政府首脳部ノ責ヲ問フ所大ナリ、然レ共特攻隊ヲ必要トス。
今回、筑波空ニ於テ特攻隊ヲ編成スルニ当リ、第七筑波隊8機ヲ率ユル隊長ヲ拝命セリ勿論戦闘機搭乗員トシテ飽ク迄空中戦ヲ以テスル戦闘ニ参加セント望ムモ、今ハ其ノ事成ラズ。一旦決メラレタル上ハ只管其ノ事ヲ全ウセントス。隊長以下8名打テ一丸ト成リ訓練ニ邁進セントス。
精神的和合ノ如何ニ必要ナル衆人ノ知ル所ナリ。我ガ突入ニ依リ帝国ノ大勝利ニ期シ、安泰ヲ得バ亦以テ瞑スベシト謂フベシ。我今任命セラルルニ当リ、精神的落着ハ得タリ。残ル家族ハ可哀想トモ言ヒ得ルモ帝国危機ニ臨ム秋ハ唯私事ノミ。忠孝一本。
昭和20年4月1日
参考文献 『筑波海軍航空隊 青春の証』友部町教育委員会生涯学習課
米加田節雄中尉 米加田信雄氏提供
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