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筑波海軍航空隊略史

1931(昭6)年9月18日
1932(昭7)年1月29日
1934(昭9)年8月15日

1937(昭12)年7月7日
      8月13日

1938(昭13)年12月15日
      12月27日
1941(昭16)年12月8日
1942(昭17)年6月4日
      6月上旬
      8月7日
1943(昭18)年11月15日
      12月10日
1944(昭19)年2月17・18日
       

​      3月15日
​       


​      6月1日
    6月19・20日
       

​      6月20日頃



      7月10日
      10月1日
      10月20日
       
      11月19日




1945(昭20)年1月18日
      2月10日
​      2月16日
     
  2月16・17・25日


      3月1日
 3月下旬~4月下旬

      3月28日
      4月1日

      4月5日
      4月6日

      5月1日


      6月22日


      6月28日


​      8月15日

満州事変
第1次上海事変
霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊開隊、隊司令:三木森彦中佐。
​練習機による基礎教育を開始
盧溝橋事件より日中戦争はじまる。
第2次上海事変。日中は全面戦争に突入し、わが方は従来の北支事変を支那事変と改称
隊司令:古瀬貴季中佐
筑波海軍航空隊として独立。第11練習連合航空隊に編入。従来任務を継続
太平洋戦争。初期の進攻作戦期間は日本の損害は軽微だった。
ミッドウェー海戦にてわが機動部隊の主力を失い、日米海上航空兵力逆転
隊司令:横川方平(階級不明)
ガダルカナル島に米軍上陸。以来ラバウルとガダルカナルとの間で日米長期航空決戦が続く。
練習連合航空総隊新編。第11練習連合航空隊はその隷下となる。
アメリカ機動部隊トラック島急襲、在トラック艦船及び航空機ほぼ壊滅。
救援に赴いた在ラバウル航空部隊も壊滅し、ラバウル・ガダルカナル間の航空決戦は終了した。
隊司令:高次貫一大佐 飛行長:相生高秀少佐
飛行隊は築城に転出、代わって大分航空隊から飛行隊が転入、筑波航空隊は実用機(戦闘機)課程の練習航空隊となる。爾後40期飛行学生、13期飛行予備学生、42期飛行学生、14期飛行予備学生、1期予備生徒を教育。
飛行長:横山保少佐
​マリアナ沖航空戦。早い時期に筑波航空隊を卒業した搭乗員の殆どは、ミッドウェー海戦からこのマリアナ沖航空戦までに戦死している(公的資料は残っていない)。
筑波航空隊の操縦教官に対し「生還は絶対不可能の決戦兵器に搭乗を希望するや否や」と諮問、希望者2名、これにより軍令部は非人道的兵器の採用に踏み切った(この時はまだ「特攻」という言葉はなく、兵器の内容も明かされなかったが、後に人間爆弾・桜花と判った)。
隊司令:中野忠二郎中佐(10月1日大佐)
最初の航空「特攻」専門部隊・第721海軍航空隊創設(神雷部隊)
フィリピンにおいて、急遽、神風特別攻撃隊編成。翌21日大和隊初戦果、続いて25日敷島対大戦果。
​大本営は比島作戦のため、筑波・神ノ池・大村・元山の各航空隊に対し、教官・教員による特攻隊の編成を命令。筑波空で編成された特攻隊25名は比島第201航空隊に転出、12月から1月にかけて金剛隊として12名散華。
空戦で6名、陸戦で1名戦死。なお、部隊が台湾に退いた後の20年4月3日に大義隊として1名が散華している。
最高戦争指導会議は全軍特攻化を決定
神風特別攻撃隊筑波隊初度編成 8機×8隊=64名
練習連合航空総隊司令官は隷下に「主として特攻訓練を実施すべし、本概成期を4月末とす」と命令。
米軍の硫黄島上陸作戦開始に伴い、関東一円に米機動部隊艦載機の空襲あり。筑波空の教官・教員が零戦と少数配備されていた紫電をもって邀撃。
損害:零戦16機、紫電1機、退避中の練戦2機、戦死21名。
練習連合航空隊は第10航空艦隊(10AF)に改変、連合艦隊(GF)に編入。
筑波航空隊から零戦総計20数機(詳細不明)が九州に展開、出水基地戦闘機隊として沖縄作戦に参加。4月16日までに5名戦死。
神風特別攻撃隊筑波隊に20名追加、総数84名となる。
米軍、沖縄に上陸開始。
GF命令「10AF指揮官は作戦可能兵力を率いて5AFの作戦指揮下に入れ」
筑波隊第一陣20機鹿屋に進出。神雷部隊の指揮下に入る。
第一筑波隊17名散華。以後5月14日の第六筑波隊まで55名散華。
なお、これ以降の10航艦由来の爆戦は全て「神雷爆戦隊」と呼称された。
筑波航空隊飛行隊は谷田部航空隊に転出、新たに紫電装備の戦闘402飛行隊及び戦闘403飛行隊を編合。
隊司令:五十嵐周正中佐。飛行長:遠藤三郎少佐。
第一神雷爆戦隊7名散華。うち5機は元筑波隊。従って、先の金剛隊を含め筑波航空隊において編成された特攻隊のうち、特攻散華の総数は 
13+55+5=73柱となる。
本土決戦に備え、紫電隊は関西展開を命ぜられ、戦闘403飛行隊は司令直率で姫路基地に、戦闘402飛行隊は飛行長が率いて福知山に進出。5月編合から8月までに5名戦死。
終戦


                  参考文献 『筑波海軍航空隊 青春の証』友部町教育委員会生涯学習課

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