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第三筑波隊 隊長  中村秀正中尉

 中国山東省青島市の生まれ,父順之助(会津中学から上海東亜同文書院2期,中村洋行自営),母菊千代(父は検事,祖父は鳥羽伏見の戦いで会津軍の隊長として戦死)。青島中学校から海軍兵学校(73期)を昭和19年3月に卒業。同年4月霞ヶ浦海軍航空隊に入隊し,42期飛行学生となる。9月から筑波海軍航空隊に転属。昭和20年4月16日神風特別攻撃隊第3筑波隊隊長として,喜界島南東方面の米機動部隊攻撃のため,鹿屋基地を発進,午後1時46分「ワレ敵空母ニ必中突入中」と打電,以後消息を絶った。任海軍少佐。

【弟家久(海兵76期)への心得】

○人ノ後ニ従フナ 自ラ進ンデ何ンデモヤレ 

 苦難ハ総テ汝ニ与ヘラレタル試練ト心得ヨ 

 コレヲ克服シテ始メテ立派ナ将校生徒タリ得ベシ

○常ニ元気一杯明朗闊達タレ 少々ノ出来事ニクヨクヨスルナ

○暫クスルト家郷ヲ思フ念ガ湧イテ来ル 

 コレガ一人前ニナル前提ト思ヒ 

 一意生徒ノ本分ニ邁進ス ベシ 

○手紙ヲ書クコトハ修養ト心得 無精スルコト勿レ

○隊務モ大事ダガ勉強ヲ為ニ忘レルベカラズ 勉強ニ専念セヨ

○上級者ノ言ハルルコトハ絶対ニ服従スベシ

○有難キハ同期生ナリ 普段ハ何トモ思ハヌカモ知レヌガ「イザ」ト言フトキ親以上ノ面倒ヲ見テクレルノガ同期生ナリ 余ノ遭難ニ当リ 現在モ感謝シテヰルノガコレナリ

○入校後ハ 家ノコトヲ忘レテ 日々ヲ後悔スルコトナク有効ニ送レ

○修行中又ハ訓練中ノ殉職又ハ遭難ハ必ズシモ軍人ノ本懐トスルモノニ非ズ 本当ニ一身ヲ捧ゲ御奉公申上グベキ時機ハ残サレテヰル筈ナリ

○未ダ言ヒ度キコト多キモ 手紙ニテ少シヅツ送ッテ上ゲヨウ 見舞ヲ遠路有難ウ 祈御健闘

(海軍兵学校73期クラス会 『海ゆかば』より)

『筑波海軍航空隊 青春の証』友部町教育委員会生涯学習課p77から加筆引用

     中村秀正中尉 筑波空にて
中村家久氏提供。遺髪のために髪を伸ばしていた
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筑波空にて出撃を控えて

  零戦五二型と中村中尉

中村家の人々後列右から:順之助,順一
中央右から:直子,菊千代
前列右から:秀正(中1),家昌,家久 

【世田谷観音全陸海軍特攻隊戦没者慰霊法要】

 
平成16年9月23日秋分の日、例年のように、下馬の世田谷山観音寺で第53 回特攻平和観音年次法要が関係者、遺族など約300名参集して執り行われた。 海軍側は 木山正義もと水交会々長(機40期)、門司親徳もと第一航空艦隊副官(主短現6期東大経)、岩下邦雄 零戦の会々長(兵69期) 、小灘利春回天会々長(兵72期)、『特攻の真実』『特攻の総括』の著者 深堀道義氏(兵75期)ほか多数が参列された。 山本卓真 世田谷観音奉賛会々長(陸航士58期、もと富士通会長)が「祭文」 を奏された後、中村家久氏(兵76期)が遺族を代表して「追悼の辞」を述べた。                

 追悼の辞


 神風特別攻撃隊 第三筑波隊長 中村秀正の弟でございます。僭越でございます がご指名を戴きましたので、遺族を代表して追悼の辞を申し上げます。
 大東亜戦争開戦の詔勅に明らかなとおり、わが国は自存自衛のため、決然起って 戦うのやむなきに至りましたが、戦勢日に日に利有らず、万策尽きて特別攻撃の 他に道はないと 、皆様がひたすら祖国の安泰と家族の幸福を祈りながら散華されて六十年になります。
 皆様はじめ陸海軍将兵の勇戦敢闘、国民一致団結の努力勤労も空しく、敗戦を迎 えましたが、この戦争で示された日本民族の能力と資質は、白人による人種差別 が根拠のないことを立証し、アジア諸民族の覚醒と独立を促しました。
 焦土から立ち直った国民は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、経済の再建と 発展に精進し、史上空前の平和と繁栄を享受しております。
 また皆様にまことに申し訳なく存じておりましたが、経済に比べ立ち遅れ著しか った精神面でも、ようやく正しい歴史の見方・考え方が普及しはじめ、わが国本来の文化伝統を尊重し、憲法、教育基本法を見直して、真の独立を達成しようと の気運が高まっております。
 アテネ・オリンピックでは、わが国の選手がめざましい活躍をいたしましたが、 郷土愛・家族愛による成果であると言われており、皆様のこころが形をかえて受 け継がれ、精神復興が進みつつあることを立証しております。これらすべてが皆 様の尊い犠牲の上に築かれたことを思い、深く感謝申し上げます。
 「死者は、故人は、回想し思い起こす人がいる限り、生きている」といわれます 。

 昭和三十年代のはじめ、私がはじめて特攻平和観音の法要に参列した頃は、皆様 の両親も多く健在でありましたが、年々高齢化が進み、皆様を直接知る遺族は少なくなりました。 母が生前、私に申しておりましたのは、兄はこどもがおりませんので、あなたが お祭りを絶やさないように、ということでございました。
 ここ太田賢照様の世田谷山観音寺で毎年法要が営まれ、皆様を供養していただき ますことにつきまして、亡き母は心から喜んでいることと存じます。
 私ども遺族は、あらためて皆様を誇りに思うとともに、皆様の気高い精神を、子 や孫に誤りなく正しく伝えていくことをお誓い申し上げます。命有る限り、わが 国を皆様に恥ずかしくない国に創りあげていくことをお誓い申し上げます。         
 どうかお見守り下さい    

平成十六年九月二十三日
                      
遺族代表    中村 家久

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