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第六筑波隊 小山 精一少尉
昭和18年中央大学商学部を繰り上げ卒業し学徒出陣。第14期予備学生。昭和20年5月14日、神風特別攻撃隊第6筑波隊の一員として、鹿屋基地を発進、九州東方海面において特攻散華。享年25歳。任海軍大尉。
学徒出陣の大命を拝し、大君の御盾と出で立つの栄を受けしは実に日本男子の本懐にて、家門の名誉又之に過ぐるは無し。
今日此の喜びを得たるは、父上、母上の御苦労の賜なるは言うも更なり。二十有余年間の深き御恩、今茲に厚く謝し奉る。
帝国海軍軍人として往くからには、もとより生還を期せず、ただ悠久の大義に生きむのみ。言い残すべき言の葉は更に無けれど、思い付きしことどもを記しまいらせむ。
一、家督の相続については父上に御任せ申し上ぐ。
一、長く武門の誉れを残されたし。
一、常に家門の栄は国家の隆盛と共に在り。
一、家は常に春の如くあれかし。
一、総ての源は人の和に在り。
一、恩師、先輩、友人等の御連絡等願申し上ぐ。
一、貸借関係無し。
一、婦人関係無し。
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(小山良助氏提供)
小山精一少尉
一、私物の整理処分等については別段の希望無し。
父上様
右、宜敷御願申し上げます。
精一は日本人として、小山家の嗣子として、恥じぬ働きをいたします。
御身御大切に、登代子、良助のことも御願いいたします。
母上様
「太柱ほめて造れる宮のごと
いませ母刀自面かはりせず」
最後の瞬間まで御母様の面影を胸深くとどめて戦い抜きます。
祖母上様
百年、千年の御長寿を御祈り申し上げます。
精一の魂は必ずお側へ帰って参ります。
姉上様
冨士男様の御武運を御祈りいたします。
登代子様
村田君との話、よく考えておいて下さい。
兄としては無条件として勧めたい男です。
よい妻、よい母となって下さい。
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小山良助氏夫人の姉が小山少尉に手作りの人形を贈りました。その時の人形のスケッチ。 (小山良助氏提供)
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小山良助氏提供
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昭和20年3月、筑波空にて。手前の座っている人物が小山少尉。(小山良助氏提供)
良助様
後の事は宜敷たのむ。
死は易く、死処を得るは難い。
人間の完成は死処を得るに在る。
では元気で参ります。最後に日本国の万々歳と小山家の弥栄を祈りつつ。
昭和十八年十二月八日 学徒出陣の日
『青春の証 筑波海軍航空隊』友部町教育委員会生涯学習課p85から加筆引用
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