第三金剛隊 鈴木孝一中尉
昭和18年9月名古屋高等工業学校を繰り上げ卒業、第13期海軍予備学生となり、土浦海軍航空隊を経て、筑波海軍航空隊に所属、19年8月台湾高雄海軍航空隊、11月第201海軍航空隊に転属、同年12月14日、神風特別攻撃隊第三金剛隊としてフィリピンのセブ基地を発進し、バコロド島240度80浬のアメリカ船団に特攻、散華されました。享年22歳、任海軍少佐。
【遺詠】
国の為散って甲斐ある丈夫と
為りてぞ生ける験ありける
鈴木孝一中尉
昭和20年5月30日、その武勲海軍省より公表さる
君のため勅かしこみ散りしかば
何惜しからむ若桜花
炭と米と背負ひてはるか常磐路へ
母伴ひて会ふべくぞ来し
父 萬一郎
兄貞一(以下)
練習機低く飛びいる筑波野を
ひた走る汽車に立ちてゆれきつ
一日も飛行練習休まずと
いふ鼻声を母は気にかく
告ぐるべき別れ告ぐべく来しならむ
墓前に立つひともとの香
ちちははの間に広き床のべて
足らひつつ寝よ短か一夜を
鈴木孝一中尉(鈴木雅子氏提供)
鈴木孝一中尉の学習ノート(鈴木雅子氏提供)
鈴木孝一中尉(鈴木雅子氏提供)
台湾沖に快勝の報聞きたれど
心は懸る汝が命に
台湾より送りたる遺書-昭和20年3月8日到着
敷島の大和男子の道往きて
還らじといふ汝がこの文
ひたむきに敵葬らむと突込みし
そのたまゆらぞ母を泣かしむ
遺骨帰還すれど遺品遂に来たらず
空虚なる白木の箱に埋めて
残るものなし汝は還れども
【鈴木孝一中尉の手紙】
拝啓 大変寒くなりましたが、其後皆様には如何お暮らしで御座いますか。此度表記の隊に変わりましたから御通知致します。当分の間は此処で訓練することになりました。私も其後元気で居りますから御安心下さい。面会外出のことでありますが、日曜日は8時30分より18時半迄で何時でも出来ますから承知だけ致して居いて下さい。来るに及ばず。尚下車駅は常磐線友部駅であります。
では益々寒さに向ひますから皆様お身体を大切に、右お知らせまで。
昭和18年12月2日
茨城県筑波海軍航空隊第一分隊
鈴木孝一
鈴木貞一様
【鈴木中尉の日記】
1月16日
島田海相視察 訓辞
大東亜戦コソ真ニ皇国ノ存亡ノ戦デアル、而シテ之ノ戦ハ航空戦ニヨリ決セラレルノデアル。之時我々ハ海軍航空搭乗員トシテ入隊シ併シテ勢盛ンナル時、産レ合ハシタコトノ光栄ヲ思ヒ増々訓練ニ勤ムベシ
【修身】
一、一時の感情に走り他人に迷惑を及ぼすな
二、私心なく公平なる気分にて部下に当れ
部下に対して差別を付けるな
三、賞めるのは七分、絞めるのは三分
常に絞めれば明朗を欠き部下動かず
四、為うとして始めたことは徹底的に行へ、
さもなくば始めよりなすな
五、常に第三者の立場になって考へよ
六、自己の信念を変えるな
独断専行は指揮官の識量の全部なり
泣いてくれるな墓標の前で
空は男の散るところ
【戦陣銘】
一、吾ハ陛下ノ股肱ナリ
一、吾ハ日本男子ナリ
一、吾ハ愛機ト共ニアリ
一、吾ハ任務ヲ盡クスナリ
一、吾ハ伝統ニ生クルナリ
【三誓】
一、今日一日忠節ヲ盡サン
一、今日一日旺勢ナル攻撃精神ヲ発揮セン
一、今日一日没我精神に徹セン
「敵ニ勝ツト云フハ己ニ勝ツコトナリ己ニ勝ツト云フハ意ヲ以テ体ニ勝ツコトナリ」
~葉隠~
「みのるほど頭の下る稲穂かな」
【予備学生始業式ニ当リ学生並ニ隊員一同ニ訓示】
筑波海軍航空隊司令 荒木 保
私ガ当隊司令荒木大佐デアル
今回164名ノ元気溌剌タル諸子ヲ練習学生トシテ当隊ニ迎フルノハ本職ノ最モ欣快トスル所デアル。諸子ハ之迄特ニ恵マレタル境遇ニアリテ長イ間学校ニ於テ心身ヲ練リ高等ノ学問ヲ修メテ来テ現下ノ国際状勢ガドンナモノデアリ我ガ大日本帝国ノ直面セル難局ガ如何ナル程度ノモノデアリ又大東亜戦争ノ性質竝ニ其ノ戦闘ノ様子ガ現下如何ニ凄惨苛烈ナルモノデアルカヲ十分ニ知リ蓋シ居ルト思フカラ茲ニ鴑々ノ言ヲ弄スルノ必要ヲ認メナイガ我が大日本帝国ノ存亡ガ実ニ此ノ一戦ニ掛ッテオルノデアル。諸子ハ此ノ国家危急存亡ノ秋ニ当リ、「一旦緩急アレバ義勇公ニ報ズ」と云フ御勅語ノ御言葉其儘ニ一意奉公ノ念ニ燃エ皇国ノ要請ニ応ジ筆ヲ投ジテ剣ヲ採リ醜の御楯トナリ一死君国ニ報ズル決意ヲ以テ起チ上ッテ来タノデアル。
殊ニ諸子ハ大量ニ招集セラレタル学鷲ノ第1回目デアリ国民ノ与望は諸子ノ一身に集マッテオルト云ッテモ差支ナイノデアル。故ニ諸子ハ此ノ国民ノ期待ニ添フ丈ノ働ヲセネバナラナイ。則チ本大東亜戦ハ諸君ノ力ヲ以テ解決スルト云フ意気込ガ必要デアル。
而シテ航空機ノ現代海戦ニ於ケル位置ハ海戦ノ一要素タリト云フヨリハ寧ロ海戦ノ勝敗ヲ決スル主力デ、其他ノ艦船兵器人員ハ此ノ航空戦ノ為ノ基地獲得竝ニ防御及ビ其ノ補給ノ為ニ使用セラル補助ニ過ギナイ。言ヒ換エレバ本大東亜戦ノ勝敗ハ実ニ航空戦ノ勝敗如何ガ之ヲ決定スルト云フ事ハ本大東亜戦緒戦ノ真珠湾、マレー沖海戦ヨリ近クハブーゲンビル島、ギルバート沖海戦ニ至ル数次ノ海戦ニ於テ実績ガ之ヲ証明シテオル事ハ諸子ノ既ニ承知ノ通リデアル。此ノ光栄アル海軍ノ航空ノ後継者トシテ選バレタル諸子は非常ニ誇リヲ感ズルト共ニ其ノ責任タルヤ重且大ナリト言ハナケレバナラナイ。諸子充分ノ決心ト覚悟ヲ持ッテオルト云フ事ハ私ノ信ジテ疑ワザル所デアルガ本日ヨリ当隊ノ一員トナリ、愈々飛行機ノ操縦練習ヲ開始スルニ当リ二、三私ノ希望ヲ述ベテ新タニ諸子ノ決心ト覚悟トヲ促シ度ト思フ
決死敢闘ノ精神ヲ養ヘ
細心ナレ
技倆ヲ練レ
飛行軍規ノ振粛
人和
実行第一
昭和18年12月1日(鈴木雅子氏提供)